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ジャンクジャンク・コラム 2007.10.12                  

ナンタケットバスケットの魅力

  日本でもここ数年、女性雑誌などで度々紹介されるようになったナンタケット・バスケット。アメリカでは正式にナンタケット・ライトシップ・バスケットとも呼びますが、きっと多くの方々が記事や写真などをご覧になったことだと思います。日本では、きっとこれからさらに認知度が増すのではないかと予想され、すでに首都圏では同バスケットを趣味で作るための教室も開かれているということです。しかしながら、日本では現実にアメリカで製作された実物を手にする機会は少ないと言えるのではないでしょうか。(アメリカ以外の外国で作られた大量生産品のカゴは頻繁にナンタケットバスケット風バスケットとしてお店や通販で販売されているものの、それ以外は……という意味で)

 そのあたりの事情はアメリカでも同じで、南部や中西部でナンタケットバスケットを見かけるか、と言えば、一般的には見かけません。アンティークの市場でも同じこと。私も東海岸ニューイングランドの地に越してくるまでは、実物を見たことがありませんでした。とはいえ、東海岸でも頻繁に目にするわけではなく、数はぽつりぽつりとではありますが、ファインアート級の骨董を扱う店に行けば出会うことがある、そして当然のことながらケープコッド内にある島々へ行けば手に取ることもある、そんな程度なのです。

 ですから、こういった要因がナンタケットバスケットに希少価値を付加している事情はわかります。わかりますが、それでも、日本で巷間伝えられているほどの宣伝文句ー例えば、〈バスケット界の中のエルメス。持つだけで上流階級、セレブの証しetc.〉といった文言がアメリカでも同様に流布されているかといえば、事実を丁寧に検証する余地もありそうです。

 確かなことは、このバスケットには一目見ただけで魅了されてしまうほどの存在感がある、ということなのですが、事実、ナンタケットバスケットを部屋に一つ置いただけでマサチューセッツ州の沖合に浮かぶ島の薫りが漂うかのような雰囲気に包まれます。また、シンメトリーな成型で、シンプルな仕上がりや色合いにどこか北欧モダンやシェーカーにも通じるコンテンポラリーなイメージがあり、バスケットの中では一つの完成した姿であることは確かだと思います。実際このバスケットを手にすると、“一つひとつ集めていきたい!”といったコレクター魂が高じていくのも不思議ではありません。

 では、このバスケットに人々はなぜこうも魅了されるのでしょうか。ナンタケットバスケットとはどういったものなのか、なぜ、籠にも関わらず高額であるのか、今回のコラム欄は、これらの問いを前提に私が現地で見聞きし、学んだことを紹介いたします。ここであらためて述べるまでもなく、骨董品やコレクテイィブルは、ものが背負う歴史や文化的背景が滋養となってそのもの自体の価値に反映されます。私自身、ナンタケットバスケットを入手するにあたり、いったい歴史や文化的背景が何であるのか自ら調べ、コレクターに話を聞き、専門家に質疑応答を重ねました。結果の内容は以下のとおりです。少々長くなりますが、どうぞ最後までおつきあいくださいませ。

初夏のケープコッドにて。陽光眩しい午後から夕暮れまでの海辺の光景

↑ ジャンクジャンクドットコムのアルバムから。昨年、日本へ里帰りする前に現地にて撮影しました。一番上は洋上でボート遊びをした際に撮影。下段左側の写真は夕暮れ時、ディナーのためのレストランを探していたとき目にした光景です。イタリア料理店の庭先にて。海を眺めながらアペリティフを楽しんでいる客人たち。右側の写真は夕暮れ時に撮影。夕日が海原を優しく包んでいます。

ナンタケットバスケットの由来

 上の写真にもありますとおり、ケープコッド(Cape Cod)とは、ボストンから車で1時間くらいのところにある大西洋に突き出た半島を指します。その先に浮かぶいくつかの島々含めて一般的に避暑地と認識されています。夏真っ盛りの時期に人々がリゾート地として目指す先にはナンタケット島、マーサーズヴィニアッド、プロヴィンスタウンなどが主にありますが、富裕層の間では、これらの地に別荘を持つのがある種のステイタスとも言われています。
 
ナンタケット島には、昔ながらの豪奢な家が並ぶ通りや、凝った意匠を持つ素敵なコテージが並ぶストリートもあり、かつて島が繁栄していたことは一目瞭然。果てしなく広がる海原に白砂の浜辺と魅惑的な街並み。リゾート地としてこれほど贅沢な空間はありません。島のあちこちを散歩するだけで、ボストンやニューヨーク、コネチカットからの富裕層がこぞって、この地に別荘を求める気持ちが手に取るようにわかります。

 

 歴史を遡ること18世紀の頃。島は捕鯨で栄え始めました。イギリスからの移民が多く定住するようになり、やがて灯台船を守る男たちが灯台のあかりに油をさす傍ら、副業として、ネイティブアメリカンの籠を原型とするバスケットを編み始めるようになります。今や、ナンタケットバスケットが骨董品でありながら投資物件となり、有名オークションハウスで想像できないほどの高値で取引されているのは、この頃の、すなわち18世紀から19世紀初頭に製作されたものだといわれています。事実、1994年にSotheby'sで、6つのネストスタイル(大中小のバスケットが6つ、入り子型になって収まっているバスケット)のバスケットが$119,000−で落札され、人々を多いに瞠目させました。まさにこの瞬間、ナンタケットバスケットは確固たる地位を獲得したと称しても過言ではありません。

パースタイプ、蓋付きバスケットの登場

 もともとナンタケットバスケットに蓋はありませんでした。樽作りを原型にしていたため、籠本体に取っ手がついたオープンスタイルのものばかりだったのです。が、その後、ある人物の登場で、ナンタケット島のバスケットに一大変革が起こります。人物の名をJose Formosa Reyesといい、彼は遥かアジアの地から自由の国アメリカを目指して移民した聡明なフィリピン人でした。以下は、ニューヨークで写真家として活動中のJose Formosa Reyesのお孫さんが語る、彼のストーリーです。(お孫さんご本人のHPから要約して記します参考ページ

 時は第一次世界大戦後のフィリピン。家族の期待を一身に背負いながら、身分相応以上の教育を与えられていたJoseは、さらなる大志を抱いてアメリカの地に渡ります。 地方のカレッジからやがては奨学金を得てハーバード大学へ。ほどなくしてでアメリカ人女性Bettyと学生結婚し、予定どおり社会学を修めたJoseは、母国フィリピンへと故郷へ錦を飾ります。やがて時代は第二次世界大戦に突入。大戦の混乱から逃れるようにJoseとBettyはボートへ乗り込み、再びアメリカへと人生航路の舵を大きく旋回させます。しかし、そんなカップルを待ち受けていたのは、アジア人の義理息子を受け入れられない妻の実家から差し向けられた冷ややかな態度でした。
 孤立無援の情況下、一家が住むところと仕事を求めて移り住んだのが、ナンタケット島だったのです。島でのJoseは、バスケットメーカーたちの手ほどきを受け、やがて自宅で籠を編み始めます。彼が編み出したのは、従来の野菜や果物を入れていたオープンタイプのバスケットに一工夫加えたオーバルタイプの籠でした。小さめのバスケットに蓋をつけて女性たちが外出時やパーティーなどに持てるパーススタイルの籠を製作したのです。

 Joseは籠を仕上げては、その端から自宅の庭先の木の枝に一つ二つと掛けていったといいます。当時、それらに付けられていた値札は15ドル〜25ドル。1946年頃のことです。籠は徐々に地元の女性たちや島を避暑で訪れる夏の客人たちの間で、「とっても丈夫。それでいて美しい」との評価を受け、お孫さんのKarenがバスケットショップを手伝っていた1989年までには、300ドル〜1000ドル以上の値段が付くほどにまでなっていたそうです。評判を呼んだナンタケットバスケットは次第に上流クラスの女性たちに愛され、そして60年たった2007年の今日、Jose Formosa Reyesサイン入りバスケットには、3000ドル以上の価値が付いています。

 Jose製作のバスケットがどのようなものか、ご関心がある方は、お孫さんのHPにてじっくりとディテールなどを見ることができますので、次のアドレスをクリックしてご覧ください。上の写真に順次カーソルを当てますと、下の大きな枠にディテールが映し出されます。facesinphotos.com 

 また同じくJose Formosa Reyesサイン入りバスケットが今の市場でどれほどの価値を付けられているのかは、次のページでご覧になることができます。ただし、挙げているページはeBayなので正確さは分かりません。eBayでの真贋は玉石混淆ということだけ申し上げておきます。→こちらまで 

ナンタケットバスケットの特徴

 バスケットは、オークの木を薄く薄く加工した素材、あるいはケインでできています。底と蓋に張ってある木や持ち手はオーク、チェリー、マホガニーのいずれか。また蓋の飾りには、鯨を含む動物の骨及び牙や貝の細工物、あるいは象牙などが使われています。鯨の骨や歯の細工を現地では、“scrimshaw”と呼び、アメリカのアンティークショップで時々展示されているのを目にしますが、大変高価です。※ワシントン条約成立以降は象牙の使用は一般的ではありません。日本では99年の輸入を最後にそれ以降、輸入が禁じられています。

 ↑ MA州ニューベッドフォードにある捕鯨博物館に飾られている鯨の歯や骨で作られた宝石のようなソーインググッズの数々。大変な贅沢品です。左から2つ目の写真が代表的な"scrimshaw"。インクを柔肌に流し込む刺青の技法で風俗画が描かれています。ナンタケットバスケットにもプレート状のscrimshawが飾られることもあります。


  贅沢な素材。そして確かな技術。それらを二本柱にナンタケット島在住の職人よって編み出される籠だけが、長年、ナンタケット・ライトシップ・バスケットの称号を戴いていました。しかし、今日では、アメリカ国内はもとより、海外でもバスケット製作の教室が広まり、大勢の人々が自らの愛用品として、あるいは販売するためにナンタケットバスケットを編んでいます。特にアメリカではほんの一例を挙げると、ロータリークラブに集う女性たちや野球選手、ゴルフ選手の妻といった人たちが、バスケットメーカー(職人)に編み方を乞い、次第にアメリカ各地にバスケットメーカーが誕生していったといいます。当時も今もたとえ趣味でバスケットを編むにしても、そもそもモールド(木型)が高価ですし、蓋や本体を飾る装飾品も決して安くはありません。籠編みのサークルが所謂アッパークラスの人たちに支えられていた理由にはこういった事情がありました。もし、材料がもう少し安ければ、アメリカ全州にもっとナンタケットバスケットは増え続けていたはずだと言われています。
  以上のような潮流を受け、1980年頃から、ナンタケット島以外の製作者による籠もナンタケットバスケットと呼ばれるようになったのです。

 よってナンタケットバスケットの真贋を問われても○×方式で明確な線引きができるわけではないとエキスパートたちは声を揃えて言います。ナンタケット島出身の職人が編んだ籠もナンタケットバスケットですし、アメリカ人女性が技術を習得して編んだものも、そして日本から来ている在米駐在員の奥様たちがボストン周辺の教室で編んだものもナンタケットバスケットなのです。 また、いずれもそれぞれ個性があり、一つとして同じバスケットができるわけではありません。蓋の飾りを変えたり、持ち手を好みによってスクエアのものか、ラウンド型にするか、それら装飾に応じて個性が出てくるのが、ナンタケットバスケットの魅力でさえあります。

 さて、真贋という言葉を出しましたが、敢えて区別しなければならないものといえば、一つだけ。大量生産品とは区別しておいたほうがいいと専門家は言います。今日、例えばマサチューセッツ州にある美術館などに行けば、ミュージアムショップにナンタケットバスケットの外国製の現行品がいくつも販売されています。お値段は蓋付きのオーバルタイプで、200ドル前後。さらにラベルをよく見ると、Made in Chinaと記されています。こういったものはいわゆる大量生産品ではありますが、出自をきちんとラベルに表示しているところからも、偽物とは呼べないでしょうし、むしろこれらラベル付きの商品は生産国を明らかにしている分、誠実なのかもしれません。

大量生産品との見分け方

 さて、大量生産品ではないものを手に入れる場合、以下のような知識を頭の隅において検討してみてください。
 
最近、日本のサイトで、 〈8インチ蓋付きバスケットで無名作家の物でも30〜70万円、アンティークでは1000万円〜とかなりの高額〉という文言を目にしましたが、これは日本のマーケットにむけての言葉だと理解しておいたほうがよさそうです。アメリカ現地で新たに製作される籠の目安は、1インチ(2cm54mm)につき、50ドル〜200ドル。8インチのものだと400ドル〜1600ドル。むろん、無名の作り手、有名な作りといった製作者の技術と仕上がり、それに素材によっても価格にはさらに振幅が生じます。一方のアンティークでも、サザビーズなどで売り立てられるような逸品は別として、通常、1000万円以上の値札を見ることは非常に難しいです。またアンティークという点でナンタケットバスケットが特異なのは、一般的に100年以上のものがアンティークと定義される骨董の世界において、蓋付きナンタケットバスケットのパースタイプがこの世に出てきたのは1946年頃ですから、約60年の歴史しかありません。従ってパースタイプに限って言えば、50年の年月を経ているものはアンティークと呼べますし、1960年以降の製作年であればヴィンテージといわれています。

  また、某アジアの大国で作られているバスケットには時々バスケットの底の裏にFarnum  または、Barlow Handbag......といった書き出しのラベルが貼られていたりするそうです。もしくは底の裏側がプレーン(無記名)ということを教わりました。またヒンジ(蝶番)部分は通常、革をケインで包んでいるのですが(下の写真左側の矢印部分です)、大量生産品はここに革の代わりにプラスチックを使った上でケインで覆っていたりするため、外見からはわからないもの、実際は大変壊れやすいそうです。
 

  ↑ 上記二つはどちらもアンティークです。左の写真、矢印部分が正当なヒンジ。革がケインで包まれており、開閉の際、しなやかな動きをします。右の写真は、私もアンティークショップなどで見かけてきたオープンタイプ。よく使い込まれた大変古い籠です。高額にもかかわらずダメージがあるため購入するには勇気が入りますが、島の専門家に持っていけば修復は可能だそうです。問題は修理代。バスケッットがもう一つ買えるほどのお値段だとか。

 

 大まかに整理しますと、大凡の価格、素材とディテールのチェック、そして籠のボトム裏に製造年とサインがあるかどうか、などがスタンダードな見分け方といえるでしょう。また購入の目安としては、ナンタケットバスケットにいくらまでなら費やせるか、ご自分の予算をはっきりさせておくことも大切です。ご予算に合わせて、最低限、この飾りとこのディテールはおさえておきたいと追加項目を入れながら検討してみてください。何度も申し上げるようにクラフトマンシップに溢れたバスケットには一つとして同じものがありません。製作者、製作年に飾りや素材、サイズも違えば、それに合わせて価格もまた動きます。おさえておきたい点と妥協する点、それがクリアになったとき、きっと、おのずから手に入れたいバスケットの姿が見えてくることでしょう。

 最後になりますが、ジャンクジャンクドットコムがカタログページでご紹介しているナンタケットバスケットに、ご質問がございましたら、いつでもお問い合わせください。私が手元に保管しております籠は、1988年の製作年ですので、これから年季が入ってアンティークのPatina=古いあめ色の艶が出てきます。今はまだその過程で、キャラメル色の艶までは深まってきていますが、お手元でご愛玩いただければ一層、風格が増してくる、将来が楽しみなナンタケットバスケットです。蓋と底の板はチェリーの木。ヒンジの中はもちろん革。製作者のイニシャル名と製造年が底に記されています。その他詳しくはバスケットのページを、ぜひ、ご覧ください。→ (Soldになりました)

 ナンタケット・バスケットの購入に関して:お気軽にお問い合わせくださいませ。なお、価格だけのご質問には即座にお答えを返すことができませんので、ご了承いただけますようお願い申し上げます。

いつもコラムをご高覧いただき、まことにありがとうございます。このコラム欄はジャンクジャンクドットコムのマツオによって書かれているもので、内容には著作権が生じております。著者に無断で語句の引用や転載は違法となりますのでご注意ください。もし、引用される場合はこちらにご一報いただいた上で、参考文献の出典先としてジャンクジャンクドットコム・マツオの名前を入れていただければ引用の範囲に応じて許可させていただきます、どうぞ、ご遠慮なく事前にお知らせくださいませ。

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